2006年02月20日

「障害」という言葉について

http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/b4677242040b1a2a4a35656fe0ad6640choiris

障害者、伝統的には「障礙」「障碍」と書くのが正しいとか。

考えたことも無かったのですが、「障害者」は他人にとって"障害"になる人のこと、という解釈をするとができると。なるほど。確かにそういう読み方もしようと思えばできますね。
ただ、ほとんどの人は「身体に障害を持ってる人」と思うでしょう。よほど、障害者であることに対して被害妄想が強かったり、嫌悪している人でなければ。

ここからは僕の論理です。
例えば、目が見えなかったら障害者です。本人が障害者だと思っていなくても障害者です。問題はその"障害"を持っていても、"障害"が本当の"障害"になるのを軽減できるか、だと思います。一部分が弱っていたり使えなかったりしたら、他の部分で補うようにすればいい(大変な努力が必要かと思いますが)と思います。

仮に、空を飛べる人がいたとしたら、空を飛べない僕らは障害者です。ですが、空を飛べなくても普通に生活して、それに不自由を感じていないし、ある程度満足していると思います。空を飛べない人を見て可哀想、と思うのはおかしい。その人は、そういう人だから。
…ということで、"空を飛べる"を"目が見える"などと置き換えても通用するのではないでしょうか。

小学生の時、先生に叱られた時のたとえ話。
posted by じっぷ〜 | 東京 曇り | Comment(2) | TrackBack(0) | その他記事 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
こんにちは。トラックバックいただき、やってきました。

>問題はその"障害"を持っていても、"障害"が本当の"障害"になるのを軽減できるか、だと思います。

これが、本人の機能向上のための努力にゆだねられるのは、きついかな、と。
道具の開発や、建物や道路等といった具体的なバリアフリー、そして「社会的支援」のあり方、ということになると思うんですよね。

そういうことが成り立っていったときに、はじめて、
>"空を飛べる"を"目が見える"などと置き換えても
ということが、可能になるかなあ、などと思いました。
Posted by S嬢 at 2006年02月21日 12:30
ご丁寧にありがとうございます。

>道具の開発や、建物や道路等といった具体的なバリアフリー、そして「社会的支援」のあり方、ということになると思うんですよね。

全くその通りだと思います。
はっきり言って、社会的に見捨てられたら、僕も努力する気が失せると思いますし、どうしても越えられないハードルもあります。
他人がハードルを下げる努力もしなくてはなりません。
Posted by じっぷ〜 at 2006年02月21日 20:12
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