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障害者、伝統的には「障礙」「障碍」と書くのが正しいとか。
考えたことも無かったのですが、「障害者」は他人にとって"障害"になる人のこと、という解釈をするとができると。なるほど。確かにそういう読み方もしようと思えばできますね。
ただ、ほとんどの人は「身体に障害を持ってる人」と思うでしょう。よほど、障害者であることに対して被害妄想が強かったり、嫌悪している人でなければ。
ここからは僕の論理です。
例えば、目が見えなかったら障害者です。本人が障害者だと思っていなくても障害者です。問題はその"障害"を持っていても、"障害"が本当の"障害"になるのを軽減できるか、だと思います。一部分が弱っていたり使えなかったりしたら、他の部分で補うようにすればいい(大変な努力が必要かと思いますが)と思います。
仮に、空を飛べる人がいたとしたら、空を飛べない僕らは障害者です。ですが、空を飛べなくても普通に生活して、それに不自由を感じていないし、ある程度満足していると思います。空を飛べない人を見て可哀想、と思うのはおかしい。その人は、そういう人だから。
…ということで、"空を飛べる"を"目が見える"などと置き換えても通用するのではないでしょうか。
小学生の時、先生に叱られた時のたとえ話。
2006年02月20日
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>問題はその"障害"を持っていても、"障害"が本当の"障害"になるのを軽減できるか、だと思います。
これが、本人の機能向上のための努力にゆだねられるのは、きついかな、と。
道具の開発や、建物や道路等といった具体的なバリアフリー、そして「社会的支援」のあり方、ということになると思うんですよね。
そういうことが成り立っていったときに、はじめて、
>"空を飛べる"を"目が見える"などと置き換えても
ということが、可能になるかなあ、などと思いました。
>道具の開発や、建物や道路等といった具体的なバリアフリー、そして「社会的支援」のあり方、ということになると思うんですよね。
全くその通りだと思います。
はっきり言って、社会的に見捨てられたら、僕も努力する気が失せると思いますし、どうしても越えられないハードルもあります。
他人がハードルを下げる努力もしなくてはなりません。